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荒木悠 個展「 SWEET ROOM」
2022年4月30日 – 8月1日
会場:RC HOTEL 京都八坂、京都 -
加藤翼 グループ展「国立国際美術館コレクション 現代アートの100年」
2022年4月2日(土) – 5月29日(日)
会場:広島県立美術館 -
加藤翼 グループ展「Spinning East Asia Series II: A Net (Dis)entangled」
2022年4月2日 – 8月7日
会場:CHAT、香港 -
八谷和彦 特別展「M-02JとHK1」~無尾翼機に魅せられて~
2022年4月27日(水) – 5月30日(月)
会場:あいち航空ミュージアム 1階 航空メッセプラザスペシャルトーク
2022年5月5日(木・祝)
11:00〜12:00「M-02JとHK1 〜無尾翼機に魅せられて〜」
13:30〜14:30「OpenSky クロニクル 〜模型から米国フライトまで〜」
*先着40名程度 -
アーカイブ:「すみっこCRASH☆」トーク(友政麻理子 × 蔵屋美香)
トークイベントのアーカイブを公開いたしました。
参加できなかった方も、ぜひご覧ください。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
すみっこCRASH☆ アーティスト・トーク
友政麻理子(アーティスト)× 蔵屋美香(本展キュレーター / 横浜美術館館長)日時:2022年3月19日(土)12:30-13:30
会場:無人島プロダクションーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
蔵屋美香:ではトークを始めます。まずは友政さんから、出品作の《お父さんと食事(ブルキナファソ)》(2014年)について、基本的なところを教えてください。
友政麻理子:これは、大学時代の2000年に始まった〈お父さんと食事〉というシリーズの作品です。初対面の男性と、――あ、男性でなくてもいいんですが、これまでは男性でした――食事の間だけお父さんと娘の関係になるよう努力する、という約束をして、ご飯を食べます。これまで金沢(2008)、いわき(2012)、台北(2013)、ブルキナファソ(2014)、新潟(2015)、東京の足立区(同)、松本(2017)と各地で制作してきました。ブルキナファソ編は約50分で、ほぼノーカットです。
蔵屋:そもそもなぜブルキナファソだったんですか?
友政:ブルキナファソは西アフリカの、マリの南東にある国です。“Between art and science 2014” (IRFAK OASIS、ブルキナファソ/ナポリ科学博物館、イタリア) という企画で、わたしもレジデンスをすることになりました。しかし、わたしが滞在した村ではアートという言葉が日本国内のようには通じませんでした。そこで、自分がこの場所で無理なくできることのひとつとして〈お父さんと食事〉が浮かびました。
《お父さんと食事(ブルキナファソ)》2014年‐ ©︎Mariko Tomomasa, Courtesy of Talion Gallery蔵屋:このお父さんはどうやって探したんですか。
友政:ふだんは知らない人を紹介してもらうんですが、いまいったような事情で、この村にはパフォーマンスをしてくれる人などまったく見つかりませんでした。結局、わたしに住まいを提供してくれたこの男性になりました。しかし到着してすぐなのと、言葉がほとんどわからないのとで、知らない人に等しい感じでした。
蔵屋:ブルキナファソでは何語を使うんですか。
友政:モシ語、ディウラ語、グルマンチェ語、他にも言語がたくさんあるところでした。かつてフランスが統治していたので公用語はフランス語です。このお父さんはフランス語ができて、モシ語、ディウラ語、グルマンチェ語、あと片言の英語もしゃべる方でした。
蔵屋:基本情報がわかったところで、さらに掘り下げていきましょう。
口火を切る意味で、わたしがこの作品を見ておもしろいなと思った、おもに形式的な点をお話しますね。
まず撮影の仕方です。カメラの使い方としては非常にシンプルですよね。二人を正面から撮るカメラ、友政さんだけを撮るカメラ、お父さんだけを撮るカメラの計3台を、据えっぱなしの固定にしています。構図的には手前のテーブルの端が画面から切れているので、見る人は、まるで自分ももう一人のお客さんとして一緒にテーブルを囲んでいるような気持ちになります。
次に音です。二人の会話だけをクリアにひろうのではなく、鳥の声や周囲の人の笑い声など、生活音をぜんぶ入れています。技術的には会話だけを録ることもむずかしくはないので、おそらくこれは、その場の雰囲気を丸ごと伝えるための意図的なものですよね。
あとは逆光です。奥に大きな窓があるので、二人の姿やテーブル上の食事は逆光で黒く沈んでしまっています。そのため、二人が食べているものもはっきりとは見えません。しかし、食事を見せたければ、照明をあててそこだけアップの別カットを入れればいいわけですから、これも意図的な選択ですよね。おそらく、見てほしいのはそこではない、ということかと思います。
大体こんなところです。
さて、友政さんにマイクを戻して、そもそもなぜ〈お父さんと食事〉のシリーズが生まれたのか、というあたりからうかがっていきましょう。友政:まず前提として、わたしには一緒に暮らしている父親がいません。だから、自分の中に父性という要素はまったくないと思っていました。
しかし、まだ学生だった2000年ごろだと思いますが、テレビであるお父さんたちの記者会見を目にしました。子どもが殺されるというとても悲惨な事件があって、今だったらありえないと思いますが、記者がお父さんたちに、いまの気持ちはどうですか、とか、子どもたちに何を伝えたいですか、といった質問をしていました。ほんとうにひどい会見だったと思いますが、その賛否はさておき、そのときわたしはなぜか、お父さんの気持ちも、このお父さんに思いをかけられている娘の気持ちもわかる、共感できる、と感じたんです。それがとても不思議でした。わたしの中に父がいるのはなぜだ?とか、がんばったら父にも娘にもなれるのか?とか、いろいろ考えました。自分の中にもしも「父的なもの」や「自分のものとは言い切れないもの」という謎のゾーンがあるのなら、他の人にもそれはあるのだろうか。もしあるのなら、そこを通してお互いコミュニケーションをとることはできないだろうか。こんなことからこのシリーズを始めることになりました。
食事を選んだのは、ストレートですが、食事というものが何かを交換するのにいちばんいいし、何より家族らしいと思えたからです。蔵屋:不思議なお話ですね。たとえばドラマなどで父と娘を見て、いいな、と思うのではなく、かなり特殊な事例によってこの反応が起こったのはなぜなんでしょう。
友政:その後、ドラマなどでも、あ、これだ、と思うシーンに反応していたことに気がつきました。共通するのは、そこにはいない相手に対して語りかけている、という点でした。また、そこにはいない相手に対して語りかけるために、語る自分自身も少し形を変えている。
お父さんたちの会見も、もう会えない子どもたちに向かって何かを言っている、というところが大きかったのだと思います。蔵屋:なるほど。そこにはいない存在に対してもコミュニケーションを取る方法はある、という姿を見たということでしょうか。
友政:そうですね。それがわたしにとっていちばん響きやすかったということだと思います。
蔵屋:最初の《お父さんと食事》(2000)について教えていただけますか。
友政:最初はお父さんを募集するということも思いつかず、誰に頼んでいいのかもわからなくて、結局知り合いに紹介してもらいました。
場所は自分のアパートで、二間のうち、手前の部屋にお客さんを入れ、奥に父と娘でした。奥の部屋には大きな窓があって、映像はたまたま記録のために撮っていただけだったのですが、あとで見たら窓のおかげで逆光になっていました。その結果、そこにいるのは誰なのか、何を食べているのか、ということがもやっとして、匿名性が生まれていました。これはいいなと思い、結局これがわたしの2本目の映像作品になりました。
このときはお父さんが6人、1週間日替わりで、毎日カレーを食べました。6人分を編集すると、お父さんのシルエットがどんどん変化していく、という効果が生じました。蔵屋:お父さんたちは、実際にはどんな感じでしたか。
友政:そのときはわたしも、思い出を話すとか、家族っぽいシチュエーションを作ろうとがんばったので、なんだか演劇風になりました。まさに演劇風な感じで目の前にお客さんがいるので、お父さんも、おもしろい話を展開するなどサービスをしてくれました。なんだか変だな、と思いながら、しかし、公の場でしろうと二人がプライベートなことをさらけ出している感じ自体はおもしろかったです。
蔵屋:その次が《お父さんと食事(金沢)》(2008)と《お父さんと食事(いわき)》(2012)ですね。昨日金沢編を見直してみたんですが、ブルキナファソ編とまったくちがっていて驚きました。ブルキナファソ編同様、ノーカット版もあるそうですが、わたしが見直したのは、最初の《お父さんと食事》のときのように映像を短く切って、お父さんがどんどん入れ替わりながら食事が進行する、というコラージュ的な編集がなされたバージョンでした。
また、これも最初の作品のように金沢編ではお父さんたちが勝手にいろいろな設定を作っている点も、ブルキナファソとは大きく異なりました。友政:そうですね。いきなりお兄ちゃんの話が出たり、あのお見合い、なんで断ったんだ?と言われて、あ、お見合いがあったのね、とあわてて合わせたり、ほんとうにいろいろな設定がお父さんごとにありました。
蔵屋:友政さんがお父さんの無茶ぶりに一生懸命ついていっている感じでしたね。
友政:やっているときは演劇っぽいな、と思っていたんですが、久しぶりに見直すと、お父さんたちには実はちゃんと伝えたいことがあったんだ、とあらためてわかりました。
蔵屋:金沢編のお父さんたちにはほんものの娘さんはいらっしゃるんですか。
友政:多くの方にはいましたね。
蔵屋:なんであのお見合いを断ったんだ?と聞きながら、ほんとうはお父さんもあの人はいやだったんだよ、なんて言ったりして、もしかして、ほんとうの娘さんに言えなかったことを友政さんに言っているのかな、という印象を受けました。
友政:ウソの中に、ふだん言えない小さなことが隠されていたという気はします。時が経って、自分の年齢があがるほど、あ、あれは、と見えてくるのはおもしろいですね。
蔵屋:そんなお父さんたちに対して、友政さんの方はどうだったんですか。
友政:あの場にいるとき、実はものすごく緊張しているんですよ。無音の時間など、ほんとうに死を感じるぐらい長くて。
たとえば、わたしはいまここにアーティストとして座っていて、帰ったら母の娘で、バイト先では講師で、といろいろな関係性の中で自分を作っていますよね。でもお父さんの前にいるときは、娘ということだけが決まっている。それも相手の協力なしだと単なる思い込みに終わってしまう。つまり、ここでうまく父と娘という関係が成立しなかったら、アイデンティティが崩壊してしまうんです。だから、これをやっているときはめちゃくちゃこわいんですよ。たぶんお父さんの方もそうだと思うので、二人で必死にバランスをとって綱渡りをしている感じです。たとえばお見合いの話に対して、わたしは「娘」としてなんと答えるべきか、ほんとうにひりひりしています。お兄ちゃんが、とかおばさんが、とか言われたときに、二人の足元のロープが揺れる。そこで落ちてしまうとたいへんなので、必死に「ああ、おばさんね」と返事をするわけです。映像を見ると笑ってしまうかもしれませんが。蔵屋:たしかに、二人で協力してアイデンティティをゼロから作りましょう、という作業ですものね。緊張のあまり前日寝ていないこともある、といつかおっしゃっていましたが、それはこういう意味だったんですね。
ただ、この展覧会のテーマのひとつでもあるんですが、人間って底を打ったときには笑えるんですよ。だから見る人は、友政さんがいちばん死を感じているところでいちばん笑っているかもしれませんね。友政:ぜひ笑ってほしいです(笑)
蔵屋:笑いと死、まあエロスとタナトスなのかもしれませんが、それらはやはり表裏一体のものなんだなと感じます。
しかし、非常にシンプルな枠組みにもかかわらず、〈お父さんと食事〉には驚くほどいろいろなテーマが詰まっていて、あらためて驚きます。たとえば「疑似家族」または「拡張家族」です。これは、血縁ではない人が共に生きていくという考え方のことです。近年はLGBTQの問題などとともにさかんに議論されていますが、2014年の段階で作品として取り上げる人は、少なくとも日本にはまだ少なかったと思います。
ちょっとブルキナファソ編に話を戻すと、実はこのお父さんも、疑似家族のようなものを作っているんですよね。友政:この方の本業は、首都にあるワガドゥグー大学の先生です。この村はそこから長距離バスなどを乗り継いで1日ぐらいのところにあります。村には6つほどの部族がいて、それぞれの仕事を分担し、大体が金銭を使わず物々交換をして、村の中だけで完結する昔ながらの生活をしています。公用語であるフランス語を話せる人はお父さん以外にはなく、モシ語やディウラ語には文字がないので、村民は誰も読み書きをしません。
お父さんは1年の半分ほどを村で過ごすようです。農園を営んで有機農法の研究をするかたわら、小さな図書館を作って、必要な人には文字を教えています。はっきりは言いませんが、おそらくは身寄りのない子どもたちを何人か引き取って、勉強を教えたり、仕事を与えたりもしています。
また、疑似家族、拡大家族ということで言うと、ちょっとわたしには扱いきれないぐらい大きな話になってしまうのですが、ブルキナファソには、多くの人が文字を書かないことや、旧植民地であったことなど、大きな問題がいくつもあります。そこで、国のあり方自体を見直さなければならなくなっています。たとえば、フランス語の読み書きができないといろいろなところでだまされてしまうので、学習は進めなければならない。しかしそれまでの暮らしとのバランスもとらなくてはならない。どういう父になりたいのか、とか、どういう娘でいたいのか、という問いを拡大したものが、国家規模で日々問題になっているんです。蔵屋:なるほど、では友政さんとお父さんがどんな父と娘になるか、という一番小さい問題の輪の外側に、国家としてのブルキナファソはどうありたいのか、というとても大きな輪があるんですね。そして、たぶんその中間あたりに、疑似家族と暮らすお父さんの農園があるのかもしれませんね。
また、有機農法ということで言えば、このお父さんは、さすがに専門家だけあって、食の安全性への意識がとても高いですよね。レストランで食べると体調を崩すとか、友政さんの体調がよくなったのは農園の野菜を食べたからだとか、食に関する話題がかなり続きます。疑似家族とともに、食の問題もこれまた、いまではさかんに議論されているテーマです。友政:そうですね。このお父さんはもちろんそこにとても関心が高い方でしたが、それ以外のお父さんでも、食はけっこう重要な話題になります。なにせ目の前にあるので、互いにつかむための重要ないのち綱のひとつなんです。
蔵屋:ブルキナファソ編では、わかりやすいコミュニケーション・ツールとして昆虫食が出てきますね。
友政:これはシートゥムといって、毛虫を乾かして、一度水でもどしてからもう一度焼いたものです。イカを10回ぐらい噛んだあとの味がして、ふつうにおいしいんです。だからわたしはふだん平気で食べていたんですが、このときはお父さんがきゃあきゃあ言ってほしそうだったので、娘としてきゃあきゃあ言いました(笑)。これもコミュニケーションのためのいのち綱のひとつです。
あと、この時は鳥を焼いてくれています。村ではとても貴重なものなので、あ、なけなしの鳥をさばいてくれたんだ!と、はーっとなりました。蔵屋:ブルキナファソ編では、食事が進む中で、ゆっくりと時間をかけて二人が互いのことを知るプロセスをたどることができます。たとえば、お父さんはお母さんを早くに亡くし、おばあさんに育てられたということが途中でわかります。おまけにお父さん自身は離婚していて、フランスに元妻と子どもさんもいて、でも今は農園の仲間と暮らす道を選んでいることもわかってきます。一方、ああ、君(友政さん)はお母さんひとりに育てられたんだね、と、少しずつお互いの境遇が明らかになっていきます。
ほぼノーカットとは、わたしたち見る者も、実際に食事にかかった時間を画面の前で同じだけ共に過ごすということです。これが金沢編や台北編の編集版のように短く切ってシャッフルされていたら、印象はだいぶ変わったでしょう。その意味で、ブルキナファソ編には50分という長尺が必然だったのだなと思います。友政:このお父さんは、父と娘という設定をあまり気にせず、ナチュラルにおしゃべりをしています。だからこそ、素の彼自身やわたし自身の情報が少しずつ明らかになるわけです。
しかし、わたしは途中までお父さんが設定を作ってくれないことにとてもビビっていました。あ、ヤバい、この人はほんとうにわたしを娘として見てくれるんだろうか、父と娘というかたちを作ることができるんだろうか、と。ですから、この回は特に、血のつながりもない、一緒に住んだこともない、それでも父と娘になる努力をするとはどういうことなのか、という試みを必死でやっていたと思います。蔵屋:もうひとつ重要なものとして、言語の問題がありますよね。たとえば、金沢編はお互い日本語でしゃべっているので、言語によってお兄ちゃんが、とか、おばさんが、という設定を共に作れます。しかしブルキナファソ編の場合、二人の共通語は片言の英語だけなので、おそらく言語以外のコミュニケーションも使って関係を作らなければならない。
その点、台湾やブルキナファソなど、基本言葉が通じない海外に場を移してみて感じたことを教えていただけますか。友政:海外での制作は《お父さんと食事(台湾)》(2013)が初めてでした。最初は日本語が話せるお父さんばかりを紹介されました。
蔵屋:台湾はかつて日本によって統治されていたので、ある世代以上には流ちょうな日本語を話す人たちがいるんですよね。
友政:はい。紹介する方も、家族なんだから言葉が通じた方がいいだろうと配慮したようで、それはそれでおもしろかったんですが、やがて日本語人脈が尽きたときに、紹介者である女性が、個人的にとても心にかけているという男性を紹介してくれたんです。
このおじいちゃんはフーベーベ(フーおじさん)と呼ばれていて、第二次世界大戦後、中国本土から軍人として渡ってきて、そのまま台湾に残った人でした。わたしは台北のトレジャーヒル・アーティストヴィレッジ(寶藏巖國際藝術村)というところでレジデンスをしていたんですが、そこはもともとそうした軍人が集まって住む特殊な村だったんです。蔵屋:なるほど。戦後、共産軍に中国本土を追われた国民軍の軍人やその家族が大量に台湾に渡ってきたんですよね。その人たちを収容するために急遽作られた村は「眷村」といい、今でも台湾各地に残っています。いくつかはすでに壊され、寶藏巖のように文化ゾーンとして再生されたところもあります。
友政:はい。この人はかなりなまりのきつい地方の出身でした。ご本人は歌を歌ったりして楽しそうにしているんですが、この人のパーソナリティなんでしょうか、なまりのため言葉があまり通じないまま、何十年も過ごしてきたんです。
彼だったらいけるかも、と言われ、実際にやってみると、わたしは中国語がわからないし、彼は日本語も英語もできず、ほんとうに何もわかりませんでした。でもこの回が、何というか、すごく…〈お父さんと食事〉が目指しいていたものに一歩踏み出したという実感があって。言語が通じないから何の設定もできないところでどう父と娘の関係性を結べるか、という地平が見えて、衝撃的でした。蔵屋:言語によるコミュニケーションから出発したけれど、海外に場を移したことで、非言語的なコミュニケーションの中にほんとうに目指すものがあったと感じられた、ということですね。
友政:そうですね。また、これをやってみたことで、以前の作品でも言語以外の要素がどれだけ大きかったかということを発見しました。たとえ日本語でやりとりをしていても、言語以外のコミュニケーションは行われているし、むしろ言語以外のコミュニケーションをするために言語のやりとりをしていたのかな、とさえ思えました。
たとえばホタルが一緒に光るような、またセミが一緒に鳴くような、そうした言語ではない共振の不思議な瞬間はあるのではないかと思えました。蔵屋:ふだんは見えないそうした共振の瞬間を取り出すためにこそ、〈お父さんと食事〉というしかけがあるのかもしれないですね。この言語/非言語という問題にかかわるものとして、ブルキナファソ編には、途中、お互い自分の言語で話しましょう、という時間帯が設けられています。
友政:台北編の後からずっと考えていたのですが、ほんとうに言葉が通じない状態でコミュニケーションをしてみたらどうなるか、ということをきちんとやってみようと思ったんです。見る人にもその状態を感じてほしいので、この部分だけ字幕もなくしています。そこは見る人に響きをキャッチしてほしいと思っています。
で、やってみると、この方がぐっと父と娘の間合いが詰まるんです。逃げ場がないんですよ。
たとえば途中まで使っている片言の英語ですが、これはお父さんにとってもわたしにとっても母語でも何でもありません。だから英語をしゃべっているときは、お互いちょっと演技をしている感覚なんです。それを使い慣れた言葉にしたときに、ぐっと間合いが詰まります。もちろん落ちそうなんですよ。二人とも、近づきながら落ちそうなんです。そこで落ちないよう互いに必死でなんとかする、ということをやっているんです。蔵屋:そもそも誰かと食事をするということ自体、このコロナ禍で「濃厚接触」と言われたように、とんでもなく深いコミュニケーションの形態です。そこに生じさせるべきコミュニケーションの強度について、友政さんはずっと「間合い」という言葉を使っていますよね。
友政:実はこのブルキナファソ編を発表した個展のタイトルは、「近づきすぎてはいけない Have a meal with Father」というんです(TALION GALLERY、2015)。このタイトルは、マリ・ブルキナファソ周辺にある、カバと仲良くなろうとした女の子の話から取っています。仲良くなりすぎるといろいろよくないことが起こるぞ、という内容です。間合いの詰め方とは、要は距離の取り方です。近づき過ぎると落っこちてしまうかもしれないし、ちょうどいい間合いの詰め方をいつも探っています。
蔵屋:沈黙、片言、母語、非言語など、いろいろな操作によって間合いの詰め方、距離の測り方を探るというのが、この〈お父さんと食事〉シリーズの本質なんですね。
友政:距離を測り続ける状態に興味があるので、ゴールへ到達した後の風景は目指していないんです。でも万が一ゴールが来たら…わからないですね。
蔵屋:どういうときにゴールが来るんでしょうね。この先の制作の予定はあるんですか。
友政:作りたいと思っています。特にコロナ禍のいまの状態で、見知らぬ人と食事をするということがどうやったら可能か、オンラインなのか、いやそうではないのか、ずっと考えています。でも、いまだからやった方がいいと思っているんです。
3.11のあと、いわきで《お父さんと食事(いわき)》(2012)を制作したのですが、お父さんがものすごくしゃべるんです。あのときお父さんたちは、頼り甲斐のある父としての役割をふだんより強く求められていた。あるいは、圧倒的な現実の前で意味のある言動を要求されていた。そんな節があったように思います。
また、社会全体に当事者か否かという距離の問題があって、それはわたしとお父さんの間にもありました。特にいわきは福島の中でも茨城に近い県境にあり、そういう意味でも当事者か否かという問いのようなものがあると強く感じました。
そんな中で行った〈お父さんと食事〉です。何ができたというわけでもないんですが、娘としてやっておいてよかったと思えます。蔵屋:この展覧会は、もちろんコロナ禍の状況を踏まえて企画したものなんですが、そこには不思議と、第二次世界大戦、東日本大震災と原発事故、そして現在のウクライナ侵攻など、さまざまな「例外状態」の影が顔をのぞかせています。友政さんがブルキナファソ編を制作されたときも、実はアフリカではエボラ出血熱の感染が拡大していたんですよね。
いい作品って、そのとき意味が分からなくても、あとで世の中がその作品にふさわしい状態になったとき、あっと気が付くような要素が知らず知らずのうちに含まれているものです。疑似家族、感染症拡大や放射能汚染、その中で「濃厚接触」である食を巡ってさまざまに測られる距離。こうした問題が2014年の時点ですでに含まれているという点において、《お父さんと食事(ブルキナファソ)》、わたしは大変な名作だと思っているんです。友政:おお、ありがとうございます。
文責:蔵屋美香
展示風景「すみっこCRASH☆」2022友政麻理子(ともまさ・まりこ)
https://taliongallery.com/jp/artists/marikotomomasa/
コミュニケーションの過程をテーマに映像作品などを制作。主な個展に「窓映画館、カーテンの夢」(アートアクセスあだち 音まち千住の縁「千住・縁レジデンス」、2021年)、「美しい話」(TALION GALLERY、2019年)など。主なプロジェクトに「知らない路地の映画祭」(足立区、2016年‐)。 -
アーカイブ:「すみっこCRASH☆」トーク(小山渉 × 蔵屋美香)
トークイベントのアーカイブを公開いたしました。
参加できなかった方も、ぜひご覧ください。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
すみっこCRASH☆ アーティスト・トーク
小山渉(アーティスト)× 蔵屋美香(本展キュレーター / 横浜美術館館長)日時:2022年3月12日(土)12:30-13:30
会場:無人島プロダクションーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
蔵屋美香:本日はお越しいただきありがとうございます。トークを始めます。まずわたしから、この展覧会の成り立ちについてお話します。
だいぶ前から、わたしにはいくつか気になっている作品があり、いつか紹介のチャンスがあるといいなあと思っていました。
たとえば2011年の東日本大震災をはさんで500点以上が制作された折元立身さんのドローイング、〈ガイコツ〉(2010-2012)です。また、友政麻理子さんの《お父さんと食事(ブルキナファソ)》(2014)も8年前の制作です。このころアフリカではエボラ出血熱の感染が広がっていました。青山真也さんの映画「東京オリンピック2017都営霞ヶ丘アパート」(2021)は、展示の話とはまったく別に、冊子の編集にボランティアで携わらせてもらったというご縁でした。東京オリンピック・パラリンピック2020のために住まいを追われた人々の姿をとらえた作品です。小山さんの作品《最期の1分》(2020-)は、あとでお話しますが、とあるレジデンシープログラムの展示で偶然拝見したものでした。
無人島プロダクションさんからゲストキュレーションのお話をいただいて、これらを結んで何かテーマを立てられないかと考えていたときに、「すみっこCRASH☆」というふざけたタイトルを思いつきました。サンエックスの人気キャラクター、「すみっコぐらし」をもじったものです。
この2年のコロナ禍のような極端な状況においては、社会の中ですみっこに追いやられ、生存をおびやかされる人々が必ず生まれます。しかしまた、ふだんは不可視化されているその人たちの姿が一瞬可視化されるという状況も生じます。CRASHという英単語には、ぶつかって壊れる、という意味以外に、「鳴り響く」という意味があることもわかりました。すみっこたちが極限状況の中で、クラッシュしながら、でも声をあげる。冗談から思いついたタイトルですが、いま展覧会をやるなら、このタイトルには必然性があるのではないか、と思うようになりました。
そんな相談をしているうち、無人島さんから、そのテーマなら松田修さんの《奴隷の椅子》(2020)もぴったりではないか、とご教示をいただきました。貧困地区に生まれ育ったある女性が、自分の人生を語る作品です。
こうして出品作が集まって、展示が完成してみると、いくつかの共通するテーマがあることがわかりました。
ひとつは、血縁かどうかは別として「家族」という問題です。友政さんのテーマは、知らない人を食事の間だけお父さんとみなす、という疑似家族の問題を扱っています。松田さんの作品に登場する女性は、実は松田さんのお母さんです。折元さんは20年以上お母さんの介護をしながら、ほんの少しの自由時間に外に出て、これらの作品を描きました。そこにはガイコツの家族の姿がくり返し描かれています。小山さんの作品にも、お父さん、お母さん、お兄さんなど、後に残していく家族に何を伝えたいか、という問題や、死ぬときには誰と死ぬのか、という問題などが現れます。
もうひとつ共通するテーマは「食」です。友政さんの作品は、「食事の間だけ」という設定が重要です。一緒にものを食べるという親密な行為が、他人同士である「父娘」の距離を縮める決定的な要素となるからです。松田さんの作品にも、一番苦しい時期には1枚のハムを切って家族で分けた、という話が出てきます。折元さんも、ヘルパーさんがお母さんの食事の準備をしている間に、立ち飲み屋で飲食をしながら描かれました。画材として醤油も使われています。「霞ヶ丘アパート」には、住民に食を届ける食料品店主が住民に対して大きな影響力を持つさまが描かれています。また、展示台には暗☆闇香による模写というかたちで、韓国のアーティスト、イ・カンソの《ギャラリーの居酒屋》(1973年)に対するオマージュを出品しました。韓国の戒厳令下、無許可の集まりが禁じられる中で、ギャラリーに居酒屋の椅子とテーブルを持ち込み、飲食の場を提供した、という伝説のパフォーマンスに捧げる作品です。特に、コロナ禍において「濃厚接触」とみなされた食の持つ意味合いは、大きく変わったと感じています。
こうして、家族、食、そしてもうひとつ、「霞ヶ丘アパート」に代表される住居など、いずれも生存の最低限の保障にかかわる問題が展示を通じて浮かび上がってきました。小山さんの作品は、残念ながら食だけはぜんぜん関係ないのですが(笑)。
長くなりましたが、以上が展覧会全体の枠組みです。
では、小山さんの方から、今回の出品作について、なぜこのような作品を作るに至ったのか、どんなルールで撮影が行われるのか、といった点を教えていただけますか。小山渉:2年にわたり、ある地方のレジデンシープログラムに参加していました。1年目に、現地に2週間滞在してテーマを決めるという作業をしたのですが、そのとき不老不死ということを考えていて、地元に祠がある「八百比丘尼(はっぴゃくびくに、やおびくに)」を扱おうと思いました。八百比丘尼は、手塚治虫のマンガ『火の鳥』にも出てくる、人魚の肉などを食べて不老不死になった存在です。パンデミックのさなかで、死生観ということについてずっと考えていたんです。
そのうち、手塚が、自分が死ぬ時に『火の鳥』の最後の一コマを描いて作品が完成する、と言っていて、でも描けずに亡くなったことを知りました。
また、ちょうどレジデンシーの1年目が終わるときに、友だちが亡くなりました。彼は絵画を制作していたのですが、その葬儀で事務机の上にぞんざいに作品が置かれているのを見て、絶対いやだな、とか、彼だったらどうしたかったかな、とか、自分ならどうしたいかな、と自問しているうちに、じゃあぼくの葬儀について考えよう、と思いつきました。ほんとうに人はいつ死ぬかわからないな、と感じていました。
マンガではなく映像を作る自分は、1コマではなく1分だな、と思い、感情が揺れ動いたときに、不定期で、明日はもういないという中で、最期の言葉を1分で記録する、というこの作品になりました。いまは30分ぶんぐらいありますが、ライフワークとしてこの先もゆるゆると続けていく予定です。
感情が動いたときといっても、言葉を残すので、けっこう理性的であることが多いです。ほんとうに感情がたかぶったときには、ある程度咀嚼して、ちょっと時間を置いて撮ったりしています。
悲観的なばかりではなく、怒っているとか、他人が楽しんでいるのを見てすごくうれしくなってしまったとか、ここにはさまざまな感情が記録されています。それが最終的に自分の葬儀で流れたらおもしろいな、というか、自分が死ぬのがちょっと楽しみになるようなところがあります、ふふふふ。蔵屋:なぜそこで笑うんでしょうね(笑)
小山:いや、そういう人なんです(笑)
蔵屋:わたしがこの作品を拝見したのは、先ほど言ったように、レジデンシープログラムの展示のときでした。以前にもいくつか作品を拝見していたんですが、精神疾患の方たちをテーマにしたコラージュ作品など、なかなか重く激しいテーマであるにもかかわらず、非常にていねいに、美しく仕上げられていることに、正直にいうとちょっと引っ掛かりを感じていました。しかし《最期の1分》には生々しいものがあふれ出ていて、この人はこんな作品も作るんだなあ、という驚きがありました。
出品をお願いしてから何度も作品を見返したんですが、もうひとつおもしろかったのは、発言の立ち位置にいくつかのパターンがあるということでした。
たとえば、「これを見ているみんな、ぼくは死んじゃったけど」と、今の自分が未来の人たちに向けて語っているパターンがありますよね。
また、「これから死ぬとしたら、こういうのはイヤだな」というふうに、自分は死ぬんだぞ、という設定がうまくできないまま、仮説を述べているときもあります。
あと、「君らしい死に方だな」と「君」に対して語る1分もありますね。あとで聞くとこの「君」は、先ほどの方とは別の、亡くなったお友だちのことなんだそうですが、それを知らずに聞くと、魂となった小山さんが、まだこの世に残っている肉体の小山さんに対して「君らしいよ」と話しかけているような、幽体離脱みたいな印象を受けます。
要は撮影が継続される中で、この人は生きているのか死んでいるのか、いつの時点で誰に向かってしゃべっているのかが、どんどんわからなくなっていっているんです。ここがおもしろくて、かつ怖かったです。小山:最初は「お父さん、お母さん」みたいなお決まりのパターンから始まっています。しかしそのうち、「今日は」と語り出す、ビデオダイアリーみたいなものも出てくる。自分で見返すことはなく、字幕をつけるときにも吐き気がしたぐらい見るのはいやなので、わかっていて変化をつけているわけではないんですが。
《最期の1分》2020年‐ ©︎Wataru Koyama蔵屋:「誰がいつ誰に向かってしゃべっているのかわからない」ということでわたしが思い出したのは、シュルレアリスムの「自動記述(オートマティック・エクリチュール)」です。アンドレ・ブルトンとフィリップ・スーポーという詩人がいて、いろいろ速度を変えながら、なるべく何も考えずに文章を書きまくる、という実験をしたんです。すると、速度が上がれば上がるほど、文章が崩壊するとともに、「je(わたし)」という主語が抜けていく、というんですね。さらに、ある日、窓を見たら身投げして死にたくなった、つまり「わたし」を消去したいという気持ちに襲われたというのです。これはまずいというので実験を中止した。できすぎていてほんとうかウソかわかりませんが(笑)。
さて、幽体離脱とか、主体の存在があやふやになるといったことについて少しお話してきました。そうした、存在するのかしないのかが揺らぐキワにあるものについて、もう少し話を広げたいと思います。小山さんの作品の中には、その人には見えているのに、他の人には見えていない存在について、といった問題系が常にあるように感じます。小山:そうですね。たとえば東日本大震災のあと、マスコミが、幽霊を見た、という話をいくつか取り上げました。こうした現象は、戦争や災害のあとに世界各地で見られ、めずらしいものではありません。これを文化人類学者や病理学者は幻覚として扱います。が、ぼくは幽霊か幻覚か、ということではなく、人間が受け止めきれない死に対して、感情を発散するというか、昇華するというか、そうした人間のこころのメカニズムの部分に興味があります。それが《傷とともに幽霊は踊る》(2018)という作品になりました。
「幽霊」という言葉は、最近あまり使わないようにしているんですが、関心はずっとありました。
ちょっと脱線しますが、ぼくは中学の3年間、ずっと引きこもりをしていたんです。卒業間近になって、ヤケクソ気味に1回だけ登校したんですよ。クラスメイトはみんなふつうに話しかけてくれて、こちらもしれっと「おはよう」みたいな感じだったんですが、ぜんぜん時間を共有していないので、もちろんなじめるわけはない。社会と同期できていないというか、遅延している、時間が遅れてしまっているという感覚を強く持ちました。そこから、自分が幽霊のようだ、と感じ、さらに見えないものや人間の精神に関心が向いていったという流れです。
その意味で、作品に幽体離脱とか主語がなくなるとかいった要素が出てくるのは、必然かなと思います。蔵屋:小山さんがやっていることは、想像力の限界を試す、みたいなことなのかなとも思います。ある人には見えているけれど、わたしには見えないものを想像してみる。同様に、自分の死という、たぶん想像することがもっともむずかしいもののひとつについて想像してみる。
小山:でも結局想像できないというか、やはり他者はぜったいにわかりあえない、ということを大事にしたいと思っています。他人を被写体にすることもあるけれど、結局わかりあえないということが、自分の中ではとても大切です。
蔵屋:先ほど始まる前に、小山さんのご実家のネコが亡くなって号泣した、という話をしていたんですよね。
小山:はい、こんなに泣くのかというぐらい連日泣いてしまって。
この年末にも、別の友人が布団の中で眠りながらゆっくり死んでいたことがありました。この友人が、先ほど出てきた、ぼくが「君」と呼びかけている相手です。とても悲しかったんですけれど、それ以上にネコのことでこんなにボロボロ泣いてしまって、自分ですごくこっけいに感じました。やはりネコといえども、想像力ではなく、目の前にあるものが一番強いのか。蔵屋:先ほど小山さんがおっしゃった、幽霊という言葉を最近使わないようにしている、という話に少し戻りましょう。
端的に言うと、いま特に30代の作家さんや批評家さんのあいだで、幽霊という言葉がかなり頻繁に使われるんですよね。それがなぜなのか、わたしにも完全にはわかりませんが、気になるところではあります
わたしの知る限り、そこには二つの系統があると思います。
一つは、黒瀬陽平さんをはじめとするカオスラウンジ周辺の人たちです。2011年の東日本大震災の後、彼らも、先ほど話に出た、たくさんの人が幽霊を見た、という現象に反応しました。彼らはそれをさらにキャラクター論へと結びつけました。つまり、たとえば初音ミクのように、実体としては存在しないけれど、人のこころを強く動かす力を持つものとして、幽霊とキャラクターを捉え返したんですね。
もう一つは、近年活躍めざましい、インスタレーションを作る作家さんたちの系統です。精緻な作り込みによって空間を構築した上で、そこにいないものの気配を問題にしています。
ただ、小山さんがこれらの幽霊とちょっとちがうのは、小山さんが、幽霊を外側から表現しているのではなく、不登校によって自分が幽霊になった、という自らの経験から出発している点ではないかと思います。アウトプットのキーワードは類似していても、通って来たルートがかなり異なるのではないか、という印象です。
たとえば、小山さんの他の作品で、今の議論につながりそうな例はありますか?小山:そうですね、いなくなった存在に感情を動かされる、ということについての作品としては、去年デカメロンの個展に出した《心臓が動いている》(2021)があります。統合失調症の可能性があったお姉さんを亡くした精神科医の友人と一緒に作り上げたものです。この中で彼には、医者としてカルテを書き、かつ家族としてお姉さんに手紙を書いてもらっています。
作品を、泣かせるというか、単純に悲劇的なものとしては見せたくない、という点では、最初から彼と一致していました。映像は、お姉さんが川で亡くなって発見された場所でパフォーマンスをして終わるんですが、そこで彼が「飛び込んだ方がよかった?」みたいな冗談を言ってくれたんです。それにぼくが「いや、別に」と答えて笑って、作品は終わります。そのやりとりが見たいがためにこの作品を作ったのかな、ここが一番のリアリティだな、と思いました。アイロニカルなんですが、そこには、単純な悲しみに落ち着いて終わらせたくない、お姉さんについてずっと考え続けたいという彼の顔が、いちばん素直に現れているのではないかと感じました。
また、言葉通り幽霊という意味では、大学時代に、心霊スポットに行って撮影をして、それを自分のアトリエの壁に投影して、そこに向かってコンテやペンを持って幽霊を探す、という作品を作りました(《貧しい洞窟の幻》2015)。明滅する光やカメラのボケに反応して、トランス状態で、幻視のようなものを感じながら、すごく卑俗なかたちで洞窟壁画を描くというような試みでした。蔵屋:今さらですが、一貫した関心である生死の問題を、《心臓が動いている》に見られるように、特に精神疾患という方面から扱う作品が多いのは、どういった経緯からなのでしょう。
小山:先ほど言ったように、ぼくは中学の3年間、引きこもりでした。そもそもは、1年生の中間試験で風邪をひいて早退をしたんです。風邪は2、3日で治ったんですが、なんだかいやだな、まだ行かなくて大丈夫かな、とやっていたらほんとうに行けなくなりました。行こうとすると涙が出たりおなかが痛くなったり、身体に出る。単純になじめなかったということかも知れないですが、自分のことながら、人間がそうなってしまうっておもしろいな、と思っていました。そこからもう少し探りたいというか、人間のこころのメカニズムを考えるといろんなことが指し示されるな、という感じを持ちました。
仕事としても、精神福祉施設で働いていたことがあります。ふつうに電話で「死にたいんですけど」という相談を受けたりしていました。資格なしで働いていて、そのことにすごく迷いがあったんですが、結局、一人の人間として相手を見ること以外ない、と思ったら落ち着きました。相手もそうすればいろいろ話してくれることがわかってきました。自然と、もっと知りたい、一緒に考えることが楽しい、となっていきました。蔵屋:あと15分ほどなので、最後に少しだけ、《最期の1分》が出品されたレジデンシープログラムについて触れておきたいと思います。
古い家屋と土蔵を使った非常にいい展示でしたが、与えられた予算は、ベテラン作家に比べ、若手ということからかなり少額で、機材もほとんどが自前、会場の受付も、結局ボランティアがまったく足りず、作家さんたちもシフトに入れられるという状況だったとうかがいました。もちろん展示が実現し、いろいろなお客さんとお話できる、というメリットもあったと思いますが、最低限の対価の保証という意味では問題があると感じました。小山:ぼくらのチームは仲がよく、メンターだった荒木悠さんにもいろいろ教えていただきました。そのおかげで改善点について組織に申し入れをすることもできました。しかし、契約をする場合、最初にきちんと交渉すべきだった、と今では強く思っています。
蔵屋:たとえばすみっこというテーマを扱うときに、アーティストはつい「他者であるすみっこを表象する側の立場だ」と考えがちです。しかし小山さんの例を聞くと、アーティストもしばしば相当弱い立場に立たされていますね。ではわたしのような勤め人はどうかといえば、身体をこわして退職でもすれば、賃貸の契約すらできない状態に陥るかも知れません。
すみっこは他人事ではない。誰もがそうなりうる。そんな、セーフティーネットの底が抜けてしまったような世界をいまわたしたちは生きているんだなあ、とあらためて感じます。コロナ禍でその点がいっそうあからさまに立ち現れたのではないでしょうか。文責:蔵屋美香
展示風景「すみっこCRASH☆」2022
小山渉(こやま・わたる)
https://www.watarukoyama.com/
社会と個人の関係のあわいに立ち現れる人間の身体と精神のありようをテーマとして、主に映像作品を制作。
主な個展に「心臓が動いている The Heart is Beating」(デカメロン、2021年)、「Untouchable」(北千住BUoY、2019年)など。 -
South South Veza 02
「SOUTH SOUTH VEZA 02」: オンラインアートフェア
2022年3月31日ー4月10日
出品作家:加藤翼グローバルサウスからアートを発信する South South のオンラインアートフェア「Veza02」に参加いたします。
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「すみっこCRASH☆」展 イベント
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■トーク:松田修(アーティスト) × 蔵屋美香(キュレーター)
4/2(土)12:30-13:30
定員30名(予約優先) / 参加費 500円
事前予約はこちら:https://mujinto-summikotalk.peatix.com/
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■ 上映会:青山真也監督作品「東京オリンピック2017 都営霞ヶ丘アパート」
4/3(日)12:00-13:30
定員30名(予約優先) / 鑑賞料金 1500円(※全国共通特別鑑賞券はご利用いただけません)
事前予約はこちら:https://mujinto-tokyo2017-1.peatix.com/※両イベントともに当日参加希望の方は、直接お電話でお問い合わせください(無人島プロダクション:03-64588225)
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アーティストトーク・アーカイブ公開のお知らせ
■ 小山渉 × 蔵屋美香 (3/12(土)12:30-13:30)
トークアーカイブ■ 友政麻理子 × 蔵屋美香 (3/19(土)12:30-13:30)
トークアーカイブ -
青山真也監督作品「東京オリンピック2017 都営霞ヶ丘アパート」上映会
『すみっこCRASH☆』展 関連イベント
青山真也監督作品「東京オリンピック2017 都営霞ヶ丘アパート」上映会
定員30名(予約優先)
鑑賞料金 1500円3/6(日)16:30-18:00
3/13(日)16:30-18:00
〈アフタートーク〉18:00-19:00 青山真也 × 蔵屋美香
3/20(日)16:30-18:00
3/27(日)16:30-18:00
〈アフタートーク〉18:00-19:00 山本唯人(社会学者・キュレーター)× 青山真也
4/3(日)12:00-13:30予約は下記のリンクから
https://mujinto-tokyo2017-1.peatix.com/
※ 全国共通特別鑑賞券はご利用いただけません。 -
「すみっこCRASH☆」展 アーティスト×キュレーター・トーク
『すみっこCRASH☆』展 関連イベント
アーティスト×キュレーター・トーク定員30名(予約優先)
参加費 500円■ 3/12(土)12:30-13:30 小山渉 × 蔵屋美香
トークアーカイブ■ 3/19(土)12:30-13:30 友政麻理子 × 蔵屋美香
トークアーカイブ■ 4/2(土)12:30-13:30 松田修 × 蔵屋美香
ご予約受付中予約は下のリンクから
https://mujinto-summikotalk.peatix.com/ -
Chim↑Pom エリイ「はい、こんにちは―Chim↑Pomエリイの生活と意見―」
Chim↑Pom エリイ
『はい、こんにちは―Chim↑Pomエリイの生活と意見―』
2022年1月31日 (月) 新潮社より発売広島の空に「ピカッ」という文字を飛行機雲で描くなど、アートシーンの最前線を疾走するChim↑Pomのフロントウーマン・エリイ。新しい「にんげん」を子宮からドゥルンと送り出して母になるとき、この世の光が見えてくる。芸術家のたった一度しかない体験を躍動することばでとらえた鮮烈なドキュメント!
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Chim↑Pom「くらいんぐみゅーじあむ」クラウドファンド
Chim↑Pomが新プロジェクト「くらいんぐみゅーじあむ」のためのクラウドファンディングを始めました。
新作アートプロジェクト「くらいんぐみゅーじあむ」とは
Chim↑Pomのメンバーと同世代の子育て事情から着想を得た新プロジェクト。 森美術館「Chim↑Pom展:ハッピースプリング」(2022年2月18日~5月29日開催)のアートプロジェクトとして展覧会会場内に託児所を開設し、より多くの子育て中の方々が気軽に美術館を訪れアートを鑑賞することができるようになることを目指します。また、子どもの居場所をクリエイティブにつくりだし、子育てに優しい環境づくりへの課題を私たちがみんなで考えるきっかけになることを願います。詳細はこちらから