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アーカイブ:「すみっこCRASH☆」トーク(友政麻理子 × 蔵屋美香)
トークイベントのアーカイブを公開いたしました。
参加できなかった方も、ぜひご覧ください。
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すみっこCRASH☆ アーティスト・トーク
友政麻理子(アーティスト)× 蔵屋美香(本展キュレーター / 横浜美術館館長)
日時:2022年3月19日(土)12:30-13:30
会場:無人島プロダクション
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蔵屋美香:ではトークを始めます。まずは友政さんから、出品作の《お父さんと食事(ブルキナファソ)》(2014年)について、基本的なところを教えてください。
友政麻理子:これは、大学時代の2000年に始まった〈お父さんと食事〉というシリーズの作品です。初対面の男性と、――あ、男性でなくてもいいんですが、これまでは男性でした――食事の間だけお父さんと娘の関係になるよう努力する、という約束をして、ご飯を食べます。これまで金沢(2008)、いわき(2012)、台北(2013)、ブルキナファソ(2014)、新潟(2015)、東京の足立区(同)、松本(2017)と各地で制作してきました。ブルキナファソ編は約50分で、ほぼノーカットです。
蔵屋:そもそもなぜブルキナファソだったんですか?
友政:ブルキナファソは西アフリカの、マリの南東にある国です。“Between art and science 2014” (IRFAK OASIS、ブルキナファソ/ナポリ科学博物館、イタリア) という企画で、わたしもレジデンスをすることになりました。しかし、わたしが滞在した村ではアートという言葉が日本国内のようには通じませんでした。そこで、自分がこの場所で無理なくできることのひとつとして〈お父さんと食事〉が浮かびました。
《お父さんと食事(ブルキナファソ)》2014年‐ ©︎Mariko Tomomasa, Courtesy of Talion Gallery
蔵屋:このお父さんはどうやって探したんですか。
友政:ふだんは知らない人を紹介してもらうんですが、いまいったような事情で、この村にはパフォーマンスをしてくれる人などまったく見つかりませんでした。結局、わたしに住まいを提供してくれたこの男性になりました。しかし到着してすぐなのと、言葉がほとんどわからないのとで、知らない人に等しい感じでした。
蔵屋:ブルキナファソでは何語を使うんですか。
友政:モシ語、ディウラ語、グルマンチェ語、他にも言語がたくさんあるところでした。かつてフランスが統治していたので公用語はフランス語です。このお父さんはフランス語ができて、モシ語、ディウラ語、グルマンチェ語、あと片言の英語もしゃべる方でした。
蔵屋:基本情報がわかったところで、さらに掘り下げていきましょう。
口火を切る意味で、わたしがこの作品を見ておもしろいなと思った、おもに形式的な点をお話しますね。
まず撮影の仕方です。カメラの使い方としては非常にシンプルですよね。二人を正面から撮るカメラ、友政さんだけを撮るカメラ、お父さんだけを撮るカメラの計3台を、据えっぱなしの固定にしています。構図的には手前のテーブルの端が画面から切れているので、見る人は、まるで自分ももう一人のお客さんとして一緒にテーブルを囲んでいるような気持ちになります。
次に音です。二人の会話だけをクリアにひろうのではなく、鳥の声や周囲の人の笑い声など、生活音をぜんぶ入れています。技術的には会話だけを録ることもむずかしくはないので、おそらくこれは、その場の雰囲気を丸ごと伝えるための意図的なものですよね。
あとは逆光です。奥に大きな窓があるので、二人の姿やテーブル上の食事は逆光で黒く沈んでしまっています。そのため、二人が食べているものもはっきりとは見えません。しかし、食事を見せたければ、照明をあててそこだけアップの別カットを入れればいいわけですから、これも意図的な選択ですよね。おそらく、見てほしいのはそこではない、ということかと思います。
大体こんなところです。
さて、友政さんにマイクを戻して、そもそもなぜ〈お父さんと食事〉のシリーズが生まれたのか、というあたりからうかがっていきましょう。
友政:まず前提として、わたしには一緒に暮らしている父親がいません。だから、自分の中に父性という要素はまったくないと思っていました。
しかし、まだ学生だった2000年ごろだと思いますが、テレビであるお父さんたちの記者会見を目にしました。子どもが殺されるというとても悲惨な事件があって、今だったらありえないと思いますが、記者がお父さんたちに、いまの気持ちはどうですか、とか、子どもたちに何を伝えたいですか、といった質問をしていました。ほんとうにひどい会見だったと思いますが、その賛否はさておき、そのときわたしはなぜか、お父さんの気持ちも、このお父さんに思いをかけられている娘の気持ちもわかる、共感できる、と感じたんです。それがとても不思議でした。わたしの中に父がいるのはなぜだ?とか、がんばったら父にも娘にもなれるのか?とか、いろいろ考えました。自分の中にもしも「父的なもの」や「自分のものとは言い切れないもの」という謎のゾーンがあるのなら、他の人にもそれはあるのだろうか。もしあるのなら、そこを通してお互いコミュニケーションをとることはできないだろうか。こんなことからこのシリーズを始めることになりました。
食事を選んだのは、ストレートですが、食事というものが何かを交換するのにいちばんいいし、何より家族らしいと思えたからです。
蔵屋:不思議なお話ですね。たとえばドラマなどで父と娘を見て、いいな、と思うのではなく、かなり特殊な事例によってこの反応が起こったのはなぜなんでしょう。
友政:その後、ドラマなどでも、あ、これだ、と思うシーンに反応していたことに気がつきました。共通するのは、そこにはいない相手に対して語りかけている、という点でした。また、そこにはいない相手に対して語りかけるために、語る自分自身も少し形を変えている。
お父さんたちの会見も、もう会えない子どもたちに向かって何かを言っている、というところが大きかったのだと思います。
蔵屋:なるほど。そこにはいない存在に対してもコミュニケーションを取る方法はある、という姿を見たということでしょうか。
友政:そうですね。それがわたしにとっていちばん響きやすかったということだと思います。
蔵屋:最初の《お父さんと食事》(2000)について教えていただけますか。
友政:最初はお父さんを募集するということも思いつかず、誰に頼んでいいのかもわからなくて、結局知り合いに紹介してもらいました。
場所は自分のアパートで、二間のうち、手前の部屋にお客さんを入れ、奥に父と娘でした。奥の部屋には大きな窓があって、映像はたまたま記録のために撮っていただけだったのですが、あとで見たら窓のおかげで逆光になっていました。その結果、そこにいるのは誰なのか、何を食べているのか、ということがもやっとして、匿名性が生まれていました。これはいいなと思い、結局これがわたしの2本目の映像作品になりました。
このときはお父さんが6人、1週間日替わりで、毎日カレーを食べました。6人分を編集すると、お父さんのシルエットがどんどん変化していく、という効果が生じました。
蔵屋:お父さんたちは、実際にはどんな感じでしたか。
友政:そのときはわたしも、思い出を話すとか、家族っぽいシチュエーションを作ろうとがんばったので、なんだか演劇風になりました。まさに演劇風な感じで目の前にお客さんがいるので、お父さんも、おもしろい話を展開するなどサービスをしてくれました。なんだか変だな、と思いながら、しかし、公の場でしろうと二人がプライベートなことをさらけ出している感じ自体はおもしろかったです。
蔵屋:その次が《お父さんと食事(金沢)》(2008)と《お父さんと食事(いわき)》(2012)ですね。昨日金沢編を見直してみたんですが、ブルキナファソ編とまったくちがっていて驚きました。ブルキナファソ編同様、ノーカット版もあるそうですが、わたしが見直したのは、最初の《お父さんと食事》のときのように映像を短く切って、お父さんがどんどん入れ替わりながら食事が進行する、というコラージュ的な編集がなされたバージョンでした。
また、これも最初の作品のように金沢編ではお父さんたちが勝手にいろいろな設定を作っている点も、ブルキナファソとは大きく異なりました。
友政:そうですね。いきなりお兄ちゃんの話が出たり、あのお見合い、なんで断ったんだ?と言われて、あ、お見合いがあったのね、とあわてて合わせたり、ほんとうにいろいろな設定がお父さんごとにありました。
蔵屋:友政さんがお父さんの無茶ぶりに一生懸命ついていっている感じでしたね。
友政:やっているときは演劇っぽいな、と思っていたんですが、久しぶりに見直すと、お父さんたちには実はちゃんと伝えたいことがあったんだ、とあらためてわかりました。
蔵屋:金沢編のお父さんたちにはほんものの娘さんはいらっしゃるんですか。
友政:多くの方にはいましたね。
蔵屋:なんであのお見合いを断ったんだ?と聞きながら、ほんとうはお父さんもあの人はいやだったんだよ、なんて言ったりして、もしかして、ほんとうの娘さんに言えなかったことを友政さんに言っているのかな、という印象を受けました。
友政:ウソの中に、ふだん言えない小さなことが隠されていたという気はします。時が経って、自分の年齢があがるほど、あ、あれは、と見えてくるのはおもしろいですね。
蔵屋:そんなお父さんたちに対して、友政さんの方はどうだったんですか。
友政:あの場にいるとき、実はものすごく緊張しているんですよ。無音の時間など、ほんとうに死を感じるぐらい長くて。
たとえば、わたしはいまここにアーティストとして座っていて、帰ったら母の娘で、バイト先では講師で、といろいろな関係性の中で自分を作っていますよね。でもお父さんの前にいるときは、娘ということだけが決まっている。それも相手の協力なしだと単なる思い込みに終わってしまう。つまり、ここでうまく父と娘という関係が成立しなかったら、アイデンティティが崩壊してしまうんです。だから、これをやっているときはめちゃくちゃこわいんですよ。たぶんお父さんの方もそうだと思うので、二人で必死にバランスをとって綱渡りをしている感じです。たとえばお見合いの話に対して、わたしは「娘」としてなんと答えるべきか、ほんとうにひりひりしています。お兄ちゃんが、とかおばさんが、とか言われたときに、二人の足元のロープが揺れる。そこで落ちてしまうとたいへんなので、必死に「ああ、おばさんね」と返事をするわけです。映像を見ると笑ってしまうかもしれませんが。
蔵屋:たしかに、二人で協力してアイデンティティをゼロから作りましょう、という作業ですものね。緊張のあまり前日寝ていないこともある、といつかおっしゃっていましたが、それはこういう意味だったんですね。
ただ、この展覧会のテーマのひとつでもあるんですが、人間って底を打ったときには笑えるんですよ。だから見る人は、友政さんがいちばん死を感じているところでいちばん笑っているかもしれませんね。
友政:ぜひ笑ってほしいです(笑)
蔵屋:笑いと死、まあエロスとタナトスなのかもしれませんが、それらはやはり表裏一体のものなんだなと感じます。
しかし、非常にシンプルな枠組みにもかかわらず、〈お父さんと食事〉には驚くほどいろいろなテーマが詰まっていて、あらためて驚きます。たとえば「疑似家族」または「拡張家族」です。これは、血縁ではない人が共に生きていくという考え方のことです。近年はLGBTQの問題などとともにさかんに議論されていますが、2014年の段階で作品として取り上げる人は、少なくとも日本にはまだ少なかったと思います。
ちょっとブルキナファソ編に話を戻すと、実はこのお父さんも、疑似家族のようなものを作っているんですよね。
友政:この方の本業は、首都にあるワガドゥグー大学の先生です。この村はそこから長距離バスなどを乗り継いで1日ぐらいのところにあります。村には6つほどの部族がいて、それぞれの仕事を分担し、大体が金銭を使わず物々交換をして、村の中だけで完結する昔ながらの生活をしています。公用語であるフランス語を話せる人はお父さん以外にはなく、モシ語やディウラ語には文字がないので、村民は誰も読み書きをしません。
お父さんは1年の半分ほどを村で過ごすようです。農園を営んで有機農法の研究をするかたわら、小さな図書館を作って、必要な人には文字を教えています。はっきりは言いませんが、おそらくは身寄りのない子どもたちを何人か引き取って、勉強を教えたり、仕事を与えたりもしています。
また、疑似家族、拡大家族ということで言うと、ちょっとわたしには扱いきれないぐらい大きな話になってしまうのですが、ブルキナファソには、多くの人が文字を書かないことや、旧植民地であったことなど、大きな問題がいくつもあります。そこで、国のあり方自体を見直さなければならなくなっています。たとえば、フランス語の読み書きができないといろいろなところでだまされてしまうので、学習は進めなければならない。しかしそれまでの暮らしとのバランスもとらなくてはならない。どういう父になりたいのか、とか、どういう娘でいたいのか、という問いを拡大したものが、国家規模で日々問題になっているんです。
蔵屋:なるほど、では友政さんとお父さんがどんな父と娘になるか、という一番小さい問題の輪の外側に、国家としてのブルキナファソはどうありたいのか、というとても大きな輪があるんですね。そして、たぶんその中間あたりに、疑似家族と暮らすお父さんの農園があるのかもしれませんね。
また、有機農法ということで言えば、このお父さんは、さすがに専門家だけあって、食の安全性への意識がとても高いですよね。レストランで食べると体調を崩すとか、友政さんの体調がよくなったのは農園の野菜を食べたからだとか、食に関する話題がかなり続きます。疑似家族とともに、食の問題もこれまた、いまではさかんに議論されているテーマです。
友政:そうですね。このお父さんはもちろんそこにとても関心が高い方でしたが、それ以外のお父さんでも、食はけっこう重要な話題になります。なにせ目の前にあるので、互いにつかむための重要ないのち綱のひとつなんです。
蔵屋:ブルキナファソ編では、わかりやすいコミュニケーション・ツールとして昆虫食が出てきますね。
友政:これはシートゥムといって、毛虫を乾かして、一度水でもどしてからもう一度焼いたものです。イカを10回ぐらい噛んだあとの味がして、ふつうにおいしいんです。だからわたしはふだん平気で食べていたんですが、このときはお父さんがきゃあきゃあ言ってほしそうだったので、娘としてきゃあきゃあ言いました(笑)。これもコミュニケーションのためのいのち綱のひとつです。
あと、この時は鳥を焼いてくれています。村ではとても貴重なものなので、あ、なけなしの鳥をさばいてくれたんだ!と、はーっとなりました。
蔵屋:ブルキナファソ編では、食事が進む中で、ゆっくりと時間をかけて二人が互いのことを知るプロセスをたどることができます。たとえば、お父さんはお母さんを早くに亡くし、おばあさんに育てられたということが途中でわかります。おまけにお父さん自身は離婚していて、フランスに元妻と子どもさんもいて、でも今は農園の仲間と暮らす道を選んでいることもわかってきます。一方、ああ、君(友政さん)はお母さんひとりに育てられたんだね、と、少しずつお互いの境遇が明らかになっていきます。
ほぼノーカットとは、わたしたち見る者も、実際に食事にかかった時間を画面の前で同じだけ共に過ごすということです。これが金沢編や台北編の編集版のように短く切ってシャッフルされていたら、印象はだいぶ変わったでしょう。その意味で、ブルキナファソ編には50分という長尺が必然だったのだなと思います。
友政:このお父さんは、父と娘という設定をあまり気にせず、ナチュラルにおしゃべりをしています。だからこそ、素の彼自身やわたし自身の情報が少しずつ明らかになるわけです。
しかし、わたしは途中までお父さんが設定を作ってくれないことにとてもビビっていました。あ、ヤバい、この人はほんとうにわたしを娘として見てくれるんだろうか、父と娘というかたちを作ることができるんだろうか、と。ですから、この回は特に、血のつながりもない、一緒に住んだこともない、それでも父と娘になる努力をするとはどういうことなのか、という試みを必死でやっていたと思います。
蔵屋:もうひとつ重要なものとして、言語の問題がありますよね。たとえば、金沢編はお互い日本語でしゃべっているので、言語によってお兄ちゃんが、とか、おばさんが、という設定を共に作れます。しかしブルキナファソ編の場合、二人の共通語は片言の英語だけなので、おそらく言語以外のコミュニケーションも使って関係を作らなければならない。
その点、台湾やブルキナファソなど、基本言葉が通じない海外に場を移してみて感じたことを教えていただけますか。
友政:海外での制作は《お父さんと食事(台湾)》(2013)が初めてでした。最初は日本語が話せるお父さんばかりを紹介されました。
蔵屋:台湾はかつて日本によって統治されていたので、ある世代以上には流ちょうな日本語を話す人たちがいるんですよね。
友政:はい。紹介する方も、家族なんだから言葉が通じた方がいいだろうと配慮したようで、それはそれでおもしろかったんですが、やがて日本語人脈が尽きたときに、紹介者である女性が、個人的にとても心にかけているという男性を紹介してくれたんです。
このおじいちゃんはフーベーベ(フーおじさん)と呼ばれていて、第二次世界大戦後、中国本土から軍人として渡ってきて、そのまま台湾に残った人でした。わたしは台北のトレジャーヒル・アーティストヴィレッジ(寶藏巖國際藝術村)というところでレジデンスをしていたんですが、そこはもともとそうした軍人が集まって住む特殊な村だったんです。
蔵屋:なるほど。戦後、共産軍に中国本土を追われた国民軍の軍人やその家族が大量に台湾に渡ってきたんですよね。その人たちを収容するために急遽作られた村は「眷村」といい、今でも台湾各地に残っています。いくつかはすでに壊され、寶藏巖のように文化ゾーンとして再生されたところもあります。
友政:はい。この人はかなりなまりのきつい地方の出身でした。ご本人は歌を歌ったりして楽しそうにしているんですが、この人のパーソナリティなんでしょうか、なまりのため言葉があまり通じないまま、何十年も過ごしてきたんです。
彼だったらいけるかも、と言われ、実際にやってみると、わたしは中国語がわからないし、彼は日本語も英語もできず、ほんとうに何もわかりませんでした。でもこの回が、何というか、すごく…〈お父さんと食事〉が目指しいていたものに一歩踏み出したという実感があって。言語が通じないから何の設定もできないところでどう父と娘の関係性を結べるか、という地平が見えて、衝撃的でした。
蔵屋:言語によるコミュニケーションから出発したけれど、海外に場を移したことで、非言語的なコミュニケーションの中にほんとうに目指すものがあったと感じられた、ということですね。
友政:そうですね。また、これをやってみたことで、以前の作品でも言語以外の要素がどれだけ大きかったかということを発見しました。たとえ日本語でやりとりをしていても、言語以外のコミュニケーションは行われているし、むしろ言語以外のコミュニケーションをするために言語のやりとりをしていたのかな、とさえ思えました。
たとえばホタルが一緒に光るような、またセミが一緒に鳴くような、そうした言語ではない共振の不思議な瞬間はあるのではないかと思えました。
蔵屋:ふだんは見えないそうした共振の瞬間を取り出すためにこそ、〈お父さんと食事〉というしかけがあるのかもしれないですね。この言語/非言語という問題にかかわるものとして、ブルキナファソ編には、途中、お互い自分の言語で話しましょう、という時間帯が設けられています。
友政:台北編の後からずっと考えていたのですが、ほんとうに言葉が通じない状態でコミュニケーションをしてみたらどうなるか、ということをきちんとやってみようと思ったんです。見る人にもその状態を感じてほしいので、この部分だけ字幕もなくしています。そこは見る人に響きをキャッチしてほしいと思っています。
で、やってみると、この方がぐっと父と娘の間合いが詰まるんです。逃げ場がないんですよ。
たとえば途中まで使っている片言の英語ですが、これはお父さんにとってもわたしにとっても母語でも何でもありません。だから英語をしゃべっているときは、お互いちょっと演技をしている感覚なんです。それを使い慣れた言葉にしたときに、ぐっと間合いが詰まります。もちろん落ちそうなんですよ。二人とも、近づきながら落ちそうなんです。そこで落ちないよう互いに必死でなんとかする、ということをやっているんです。
蔵屋:そもそも誰かと食事をするということ自体、このコロナ禍で「濃厚接触」と言われたように、とんでもなく深いコミュニケーションの形態です。そこに生じさせるべきコミュニケーションの強度について、友政さんはずっと「間合い」という言葉を使っていますよね。
友政:実はこのブルキナファソ編を発表した個展のタイトルは、「近づきすぎてはいけない Have a meal with Father」というんです(TALION GALLERY、2015)。このタイトルは、マリ・ブルキナファソ周辺にある、カバと仲良くなろうとした女の子の話から取っています。仲良くなりすぎるといろいろよくないことが起こるぞ、という内容です。間合いの詰め方とは、要は距離の取り方です。近づき過ぎると落っこちてしまうかもしれないし、ちょうどいい間合いの詰め方をいつも探っています。
蔵屋:沈黙、片言、母語、非言語など、いろいろな操作によって間合いの詰め方、距離の測り方を探るというのが、この〈お父さんと食事〉シリーズの本質なんですね。
友政:距離を測り続ける状態に興味があるので、ゴールへ到達した後の風景は目指していないんです。でも万が一ゴールが来たら…わからないですね。
蔵屋:どういうときにゴールが来るんでしょうね。この先の制作の予定はあるんですか。
友政:作りたいと思っています。特にコロナ禍のいまの状態で、見知らぬ人と食事をするということがどうやったら可能か、オンラインなのか、いやそうではないのか、ずっと考えています。でも、いまだからやった方がいいと思っているんです。
3.11のあと、いわきで《お父さんと食事(いわき)》(2012)を制作したのですが、お父さんがものすごくしゃべるんです。あのときお父さんたちは、頼り甲斐のある父としての役割をふだんより強く求められていた。あるいは、圧倒的な現実の前で意味のある言動を要求されていた。そんな節があったように思います。
また、社会全体に当事者か否かという距離の問題があって、それはわたしとお父さんの間にもありました。特にいわきは福島の中でも茨城に近い県境にあり、そういう意味でも当事者か否かという問いのようなものがあると強く感じました。
そんな中で行った〈お父さんと食事〉です。何ができたというわけでもないんですが、娘としてやっておいてよかったと思えます。
蔵屋:この展覧会は、もちろんコロナ禍の状況を踏まえて企画したものなんですが、そこには不思議と、第二次世界大戦、東日本大震災と原発事故、そして現在のウクライナ侵攻など、さまざまな「例外状態」の影が顔をのぞかせています。友政さんがブルキナファソ編を制作されたときも、実はアフリカではエボラ出血熱の感染が拡大していたんですよね。
いい作品って、そのとき意味が分からなくても、あとで世の中がその作品にふさわしい状態になったとき、あっと気が付くような要素が知らず知らずのうちに含まれているものです。疑似家族、感染症拡大や放射能汚染、その中で「濃厚接触」である食を巡ってさまざまに測られる距離。こうした問題が2014年の時点ですでに含まれているという点において、《お父さんと食事(ブルキナファソ)》、わたしは大変な名作だと思っているんです。
友政:おお、ありがとうございます。
文責:蔵屋美香
展示風景「すみっこCRASH☆」2022
友政麻理子(ともまさ・まりこ)
https://taliongallery.com/jp/artists/marikotomomasa/
コミュニケーションの過程をテーマに映像作品などを制作。主な個展に「窓映画館、カーテンの夢」(アートアクセスあだち 音まち千住の縁「千住・縁レジデンス」、2021年)、「美しい話」(TALION GALLERY、2019年)など。主なプロジェクトに「知らない路地の映画祭」(足立区、2016年‐)。