松田修
こんなはずじゃない
2020 12.5 - 2021 1.16open: 火~金|13:00-19:00 / 土・日|12:00-18:00
close: 月、冬期休廊12/28 – 1/4
※ 本展ではオープニングレセプションは行いません。
※ 今後の状況により、営業時間の変更や、やむを得ず休廊となる場合があります。最新情報は随時ウェブサイトでご案内します。ご来場前に必ずご確認ください。
無人島プロダクションは、2020年最後の展覧会として、12月5日より、松田修(厄年)展「こんなはずじゃない」を開催いたします。
これまで「不適者生存」、「何も深刻じゃない」など、自身の育った環境や生き方を展覧会タイトルにしてきた、今年本厄の松田の本展のタイトルは「こんなはずじゃない」です。
本来は今年開催されるはずだった「東京オリンピック」後の社会状況を見据えて予測した、「右往左往」展を開催するはずでした。けれども新型コロナウイルス感染拡大の影響により、東京オリンピック開催は延期。経済の停滞やありとあらゆるイベントのキャンセルなどを受け、展覧会タイトルは2020年の激動の世相を反映したかのような「こんなはずじゃない」に変わりました。
幾多の倒産や休業、自殺者の増加がある一方、給付金や助成金も多く発令された2020年。しかし、その一方、さまざまな事情で給付金が受けられない場合もあり、そうした多くの問題も浮き彫りになりました。
松田は、この機に表面化した格差や差別に対し、自身もかつて経験した阪神・淡路大震災時の経験、すなわち高級住宅地と松田が育った尼崎の格差の話などを思い出したといいます。
本展は、そういった松田の育った環境や社会的弱者への松田独自の視線を表現に落とし込んだ新作群で構成されます。
どんなにたくましくタフに生きてきた人間でも、集団という束になっても、ましてや自分一人ではどうしようもないときがある。2020年という年はそれを多くの人が実感した年だったのではないでしょうか。
新作は、一人の女性の人生を私小説的に語ってもらったビデオや、今年初めから夏にかけて都内で観測した記録映像、対立や差別を生む構造を考察した作品をはじめとした、映像や立体によるインスタレーションです。
社会の構造と、それによって生まれる情報や経済の格差など、現在多くの人が抱えているであろう社会問題が作品の根幹となっていますが、どの作品にも、自分の運命をあるがままに(なすがままに)受け入れながらもポジティブな精神とタフな態度で生きていく松田のスピリットが随所に盛り込まれています。
2020年は、私たちギャラリー自体もアートフェアの中止や非常事態宣言による展覧会会期の変更もいくつもありました。作家たちも抱えていた数々のプロジェクトの中止や延期など、多くの活動の変更があった年でした。
そんな2020年のトリは、多くの人にとって共感できるであろう言葉がタイトルになった「こんなはずじゃない」で締めくくります。そして2021年は「こんなはずじゃない」とならない1年を祈念して、松田展で再開・スタートします。
松田の厄落としのためにも、今後の作家やギャラリーの活動を奮い立たせていただく意味でも、ぜひ本展をご覧いただきたく思います。
無人島プロダクション
《展覧会に向けての作家ステートメント》
こんなはずじゃない 2020
「人生を上手にコントロールしようとしても、そうはいかない」
オゥサム・マトゥーダ(1979〜)
ほとんどの人がそうだと思うが、「何も深刻じゃない」と虚勢を張っているはずの僕も、「今年」はほとほと参ってしまった。久しぶりに、自分ではどうしようもないことがあると強烈に実感した。それでも社会を下から観察しようと僕なりに努力しようとするのだが、「リモートワークよろしく」で涼しげな貴族を発見し、阪神大震災時の芦屋と尼崎にまつわる、格差の話を思い出したりした。
「ああ、貴族がうらやましい」と繰り返す僕に、
「やかましいわ! そもそも世の中がこんなになったんは、あんたのせいちゃうんけ! あんた今年、厄年やったやろ!」
と、いまだに尼崎のクソみたいなところで、小さなスナックを営んで生活する母が吠えたのが今年の5月。厄災時には経済的弱者から被害が出るのは当たり前だが、コロナ禍では特に水商売は厳しかった。母たちはいち早く「スラムマスク」と名付けられたマスクを手作り販売するなどして健闘したが、ついに店を閉めることになった。母たちがいくら頑張っても、最寄りの風俗街に人が戻らなければ、店をやるには限界があったのだ。
「今年」、どれだけの人がこんなふうだっただろう。「こんなはずじゃない」と。けれど、僕や母からしたら「こんなはずじゃない」のは生まれてからずっとで、逆境しかないところで育っているから、ヘラヘラ笑ってしまうのだった。卑屈に(笑)。
この展覧会では、社会的不利な構造や格差など、様々な社会問題に触れているが、どの作品にも、カスな運命を受け入れつつヘラヘラ生きていく、そんな「スラム魂」が通底している。あらゆる人間の生き方のなかで、僕はこういった超絶右往左往しながら生きることを「スラム出身の文化人」、「スラム文化人」、いや「スラ人」として選択し、「アート」として提案する。「超底辺層の視点による低次元的アート」が、たくさんある「高次元的なもの」に影響を与える可能性は十分ある。そのときは、誰かが良い意味で「こんなはずじゃない」と言うのだろう。そんなことが起こることが、「アート」だと思っている。
2020年厄年
松田 修