風間サチコ

ニュー松島

2023 10.28 - 2023 12.3

会期:2023年10月28日(土)~12月3日(日)
開廊:水―金 13:00~19:00 / 土・日 12:00~18:00
休廊:月・火・祝
*アートウィーク東京期間中は毎日10:00-18:00でオープンいたします。

Opening Reception:2023年10月28日(土)18:00~20:00
 
 
このたび無人島プロダクションでは、風間サチコ展「ニュー松島」を開催いたします。

本展は、昨年夏に宮城県石巻で開催された「Reborn-Art Festival 2021-22 利他と流動性(以下「Reborn」」で発表した作品群に、続編として制作した新作二点を加え再構成するものです。

「Reborn」では津波にも耐えて残った石の蔵が作品の展示会場となったことから、風間は会場の建物の建材「野蒜石(のびるいし)」に興味を持ちリサーチを始めました。採石跡の残る野蒜海岸や同じ凝灰岩石質の松島を巡るなか、風間が最初に受けた印象は〈変化〉でした。近世から「奥松島」と呼ばれ親しまれた野蒜海岸の山水を模した盆景のような構図は、現在コンクリートの堤防で分断されており、また松尾芭蕉が「造化の天工」と讃えた松島の小島たちは、波による侵食と崩落が進みどこか寂しげで、現地に訪れる前に眺めていた100年ほど前の観光絵葉書の印象とはだいぶ違ったからです。
自然の力による破壊。防災のための公共工事。抗いがたい巨大な力によって風景が変化するという現実をどのように受け止めたらよいのか? 風間は、その答えは「無常」という言葉にあるのではないかと思ったと言います。

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全てのものは常に移ろってゆく。
〈変化〉は無常の現象であり、それを劣化と嘆くか更新と見るかは個々の気持ち次第なのではないか?としばらくして私は考えるようになりました。「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。」とは鴨長明『方丈記』の有名な冒頭文ですが、奇しくも、ヘラクレイトスが提唱した〈パンタレイ〉万物流転の語源が「同じ川に二度入ることはならじ」であることに時空を超えた普遍性を感じ、無常すなわちこれ宇宙の摂理と腑に落ち、芭蕉が『笈の小文』序文で述べた「造化に従へ」の意味が身にしみます。

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このような先達の世界観から、無常とは更新の連続であると捉えることで「変化=新しい」と想定し、今も変化し続ける松島と石巻を「新しい風景」として表現した作品が表題作<ニュー松島>です。耐久性のあるアルミ板に、古伊万里に描かれた山水の記号を用いて、戦前の観光絵葉書の構図そのままに景勝地・松島を描きました。

また、石巻で展示した大型木版画<FLOW(沖つ国/不老山)>の続編として制作された新作が、<FLOW(雄島/誰まつしまぞ)>と<FLOW(袖の渡り/涙川)>です。タイトルのFLOW(流れ)は流転を意味しており、本シリーズは左右が版木と版画の組み合わせになっています。
近年、風間は版画と版木を鏡のように組み合わせた作品を発表していますが(ただし、版画を刷ったあと元の版木をさらに彫り進めているため完全な鏡にもなっていない)その制作意図を風間はこのように語っています。

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版が実体だとすると画の方は影ですが、版木は使用済みで言うなれば遺骸でもあります。左右のどちらかが過去で片方は現世と見立てながら、双方には隔てるものがなく自由に往来できると仮定した構造の作品になっています。海上を去来する空想の船を古い和歌で知るように、まだ見ぬ面影を慕って旅に駆られる俳人がいるように、歌枕というミームにより時空を超えて情感が共有されるように、人の心は流れつつ循環する…。

川の流れ同様に時間の前進は止めることができず、流れる水は常に同じでは無い。しかし「水」の存在は何万年たっても変わることはなく、たとえ表徴は移ろっても、本質は源流に戻りまた循環するのではないか?いにしえの歌や名所の記憶を頼りに「想って観る」という行為が、衰え死に向かう宿命に永劫回帰の希望をもたらしてくれることを<FLOW>に託してみました。
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無常の変化を「新しい」と肯定する試み<ニュー松島>と、抗えない流れに対し「想って観る」ことで源流に帰ることができる可能性を見出したシリーズ<FLOW>、奥松島と呼ばれる野蒜地域の変換し続ける風景を無限に見えるレシートに描いた<延びる海岸>、石巻・旧北上川の今昔を重ねて見る<立体視>を展示することで、変化と流転という時間の流れを本展で感じていただきたいと思います。
 
 
 
 
 
【作品解説】
立体視(石巻石、中瀬中)、2022
「およそ100年前の石巻の絵葉書(日和山から望む中瀬と袖の渡しの巻石)とそっくりの風景写真を撮影しコロタイプで昔風に印刷しました。今昔の二枚を左右に並べて寄り目で見ると……真ん中に時空を超えた立体像が浮かび上がるかもしれません」

延びる海岸、2022
「明治時代の初期、野蒜海岸は日本初の近代港建設で沸きに沸いていたそうです。しかし完成からたった3年で台風によって破壊され、巨大公共事業による繁栄の夢は泡と消えました。現在はわずかに残る野蒜築港跡とは対照的にグングン延びる防潮堤が海岸に造成されています。防潮堤や護岸は被災地だけではなく日本列島の海岸線をぐるりと縁取るように建設され続け、コンクリートは広い意味で生活を支えています。そんな成長し変化し続ける風景を無限に見えるレシートに描きました」

FLOW(沖つ国/不老山)、2022
「かつて伊達政宗公が『絶勝の地びとをして老いざらしむに足る』と賞賛したという奥松島・野蒜にある不老山は、現在はコンクリートの防潮堤が食い込み美観を失ったかのように見えます。新しいこの構造物を、住民の生命を守る境界線として見立ててみると、海の彼方にある常世と現世を往来する神の船が登場する歌『沖つ国 領(うしは)く君が塗屋形 黄塗の屋形 神の門渡る』(万葉集3888番)が想起されます。生と死の境界線=防潮堤に鎮座する不老山はまるで領く君主が造った門のように見え、また野蒜築港の夢の跡となった運河の水門の残像とも重なります」

FLOW(雄島/誰まつしまぞ)、2023
「松島の霊場・雄島の中にひっそりと佇む松尾芭蕉の句碑〈朝夜さを 誰まつしまぞ片心〉をモチーフに、右側には見仏上人、左側には松尾芭蕉を描いています。雄島の石窟に12年も留まり6万部の経文を読誦したという逸話のある見仏上人、そのような謎めいた伝説が残る島への慕情をつのらせる俳人の姿は背中合わせでつながっています。」

FLOW(袖の渡り/涙川)、2023
「旧北上川にある歌枕「袖の渡り」を題材に、四首の和歌が流れる川を、石積みの舟(袖の渡)が下っていく様子を描いています。平安時代から好んで詠まれた〈袖の渡〉の場所が石巻の名所であるという確証はなく、詠み人である貴族が遠い陸奥まで訪れたという事実も不明だということですが、現場を見ずともセンチメンタルな語感に想像力が刺激されたに違いありません。」

ニュー松島、2022
「『ニュー松島』とは私が松島観光をした際に乗船した遊覧船の船会社の名前です。船に乗って初めて見た松島は、幾星霜にわたり波と潮風に晒されエッジが甘くなり、私が訪れる前に鑑賞していた100年前の写真絵葉書よりも精彩に欠ける印象でした。本作はこのような経年による風景の変化を否定せず、無常とは即ち『新しい』と肯定する試みです。
参考にしたのは、古絵葉書と海浜風景の完成形を見せる古伊万里の皿絵です。長年にわたり量産された器の絵付けは、職人の素早い筆運びによってどんどん簡略化していったと思われ、もはや記号のようですが、細部が削ぎ落とされたぶん却って原始的な宇宙観のような理想の風景のように見えます。
お皿に描かれた山水画の変化は退化ではなく、寧ろ未来的でシャープな表現です。このような意匠に333年前に芭蕉が見たであろうエッジの効いていた時代の松島と、これからも変化し続ける松島の姿を重ね、未来の牧歌的風景を恒久性のあるアルミ板に描きました。」