「BLOCK PARTY」 『道』を舞台にしたブロックパーティー。公道と国立美術館という、ともにパブリックでありながら、独自のレギュレーションやルールによって性質の異なる2つの公共圏を繋げる『道』。サンフラワームーブメントによる立法院占拠にインスパイアされ、発案したことから、「国立の機関とは誰のものなのかな?」ひいては「公共とは?」という問いを投げかける。『道』自身も、Chim↑Pomの作品というプライベートな側面を持つ一方で、オルタナティブな公共圏としても機能するパブリックなものである。これまで世界中で行われてきた様々な道でのブロックパーティーと同様に、このパーティーも公共圏での出来事であることから、一般に開かれているパブリックな催しである。本来、道はどこよりも自由な空間であり、また新たに出来たこのパブリックスペースの性質を決定していくためにも、「新たな公共性とは」「自由とは」という問いがこのパーティーのテーマとなる。パーティーの参加者は、演者であれ観客であれ、そのテーマを体現する「道の当事者」となることから、美術館内の道の周りに設置された観客席に座る観客から、鑑賞される対象となる。パーティーに参加する観客と、道の外側からパーティーを鑑賞する観客という鑑賞の二重構造をこのイベントは持つことになるが、パーティーへの参加は自由なので、観客が参加者になり、道の当事者へと変わることも可能である。その場合は、公道と『道』の接点に設けられた入り口から道に入る、もしくは出ることが条件となる。パーティー時の『道』への入り口はその一点のみ。そこ以外からの出入りを禁じるために、道の周り全てに、作品への侵入防止用パーテーションを立てる。これにより、道の上で行われる全ての出来事や人々を「作品」として定義し、道の外側を作品を鑑賞する側のスペースとして定義。その2つを厳しく仕切り分けることで、このブロックパーティーは、作品として美術館のルールやレギュレーションから独立したものになる。館内であっても、この『道』オリジナルのルールが適用されるイベントとなるために、パーティーに参加する際には、そのルールを守る合意書への誓約が義務となる。逆にいうと、『道』以外の場所では、美術館独自のレギュレーションが徹底され、公道ではそこのルールが尊重されることから、公道・美術館・『道』という3つのパブリックスペースの違いは、より一層明確なものとなる。
「BLOCK PARTY」 『道』を舞台にしたブロックパーティー。公道と国立美術館という、ともにパブリックでありながら、独自のレギュレーションやルールによって性質の異なる2つの公共圏を繋げる『道』。サンフラワームーブメントによる立法院占拠にインスパイアされ、発案したことから、「国立の機関とは誰のものなのかな?」ひいては「公共とは?」という問いを投げかける。『道』自身も、Chim↑Pomの作品というプライベートな側面を持つ一方で、オルタナティブな公共圏としても機能するパブリックなものである。これまで世界中で行われてきた様々な道でのブロックパーティーと同様に、このパーティーも公共圏での出来事であることから、一般に開かれているパブリックな催しである。本来、道はどこよりも自由な空間であり、また新たに出来たこのパブリックスペースの性質を決定していくためにも、「新たな公共性とは」「自由とは」という問いがこのパーティーのテーマとなる。パーティーの参加者は、演者であれ観客であれ、そのテーマを体現する「道の当事者」となることから、美術館内の道の周りに設置された観客席に座る観客から、鑑賞される対象となる。パーティーに参加する観客と、道の外側からパーティーを鑑賞する観客という鑑賞の二重構造をこのイベントは持つことになるが、パーティーへの参加は自由なので、観客が参加者になり、道の当事者へと変わることも可能である。その場合は、公道と『道』の接点に設けられた入り口から道に入る、もしくは出ることが条件となる。パーティー時の『道』への入り口はその一点のみ。そこ以外からの出入りを禁じるために、道の周り全てに、作品への侵入防止用パーテーションを立てる。これにより、道の上で行われる全ての出来事や人々を「作品」として定義し、道の外側を作品を鑑賞する側のスペースとして定義。その2つを厳しく仕切り分けることで、このブロックパーティーは、作品として美術館のルールやレギュレーションから独立したものになる。館内であっても、この『道』オリジナルのルールが適用されるイベントとなるために、パーティーに参加する際には、そのルールを守る合意書への誓約が義務となる。逆にいうと、『道』以外の場所では、美術館独自のレギュレーションが徹底され、公道ではそこのルールが尊重されることから、公道・美術館・『道』という3つのパブリックスペースの違いは、より一層明確なものとなる。
道(Street) (2017-2018)

国立台湾美術館の「アジアン・アート・ビエンナーレ 2017」で展開した、美術館内から前庭に延び、公道へとつながる 1 本の長い舗装道を作るプロジェクト。あらゆるプロテストは道をステージにしており、例えばデモは集合場所から国会などの ゴールへと道を歩く。台湾のひまわり学生運動の際、立法院の扉には鍵がかかって おらず、学生が占拠できたというエピソードからもインスパイアされた。この道 も、美術館内から立法院へとつながっていると言える。つまり、国立美術館という 場所がどれほど公的な場所なのかを問い、国立美術館の公的センスや公的ポテン シャルを最大限に引き出すことを目指したプロジェクトでもある。立法院や国立美 術館は誰のものなのか? そこで何をするのか/できるのかを誰が決めるのか? そし て、そのジャッジは公的にどう評価されるべきか? このようないくつものクエス チョンが、このプロジェクトには内在する。公道でも国立美術館でもない第三のパ ブリック・スペースとして、Chim↑Pomは美術館と交渉しながら、この道のための オリジナルのレギュレーションを新たに作った。また、タイトルが漢字である理由 は、台湾の文化のコアともいえる道教からの着想であり、日本の柔道や書道など 「道を人生に例える」倣いへの接続である。

Statement

美術館内と外の庭、公道を繋げる一本の長い道を作る。素材はアスファルト。断面が特徴を持つように厚みを出す。全てのプロテストは道をステージにし、デモは集合場所から国会などのゴールへと道を歩く。道は全て繋がっていることから、この道も美術館内から立法院へと繋がっていると言える。また、これは国立美術館という場所がどれほど公的な場所なのかを問うプロジェクトでもある。例えば公道は24時間誰でも使用可能であり、使用上のルールは法律と人々のコモンセンス、信頼関係によって築かれている。国立美術館を真の意味で公的に開く、立法院という公的な場所を舞台にしたサンフラワームーブメントからインスパイアされたこの実験によって、国立美術館の公的センスやポテンシャルを最大限に引き出すことを目指す。立法院や国立美術館は誰のものなのか、そこに入り何をするのか/して良いのかは誰が決めるのか?そのジャッジの公的性はどう評価されるべきか?幾つものクエスチョンをこのプロジェクトは内在するだろう。公道でも国立美術館でもない第3のパブリックスペースとして、Chim↑Pomは美術館と交渉しながらこの道のためのレギュレーションを新たに作ろうと思う。Why open? ドアが何故か開いていたことを機に立法院に入り込んだサンフラワームーブメント。美術館の入り口をも繋げた道を観た人々はきっとそんな疑問を持ち、それを入り口に様々なことを考えるだろう。公とは、道とは、美術とは。そういう意味でも、公道と繋がる道が敷かれたエントランスは、まさにビエンナーレの「入り口」としてふさわしいように思う。また、タイトルが漢字である理由は、台湾の文化のコアともいえよう道教からのインスパイアであり、日本の柔道や書道など「道を人生に例える」風習への接続だ。それは、あくまでアジアをテーマにした今回のビエンナーレに対する、チンポムからの応えでもある。