011年3月11日の東日本大震災と福島第一原発での事故を受けて製作された作品群。巨大な現実を前にアートの無力が語られ、多くの展覧会が自粛された中、Chim↑Pomは現地に赴いて作品を制作。また、渋谷駅に永久設置されている、日本の被爆のクロニクルとも言える巨大壁画「明日の神話」に福島原発の事故の絵をゲリラで付けたし社会的事件を引き起こした。それらで構成され、5月に自主開催した「Real Times」展は、日本における震災・原発事故への代表的なレスポンスとして、特に海外で報道された。
「REAL TIMES」
〈3.11〉から1カ月後の4月11日、原発事故によって無人の街となった警戒区域に入り込み、福島第一原子力発電所から約700メートルにある東京電力敷地内展望台に 登頂、旗を用いたパフォーマンスをした一連の行動を記録した作品。東京電力発表 の放射線量は毎時199マイクロシーベルト。正門付近に車を停めて、片道約20分の トレッキングで向かう。初日の出のスポットとしてPRされていた展望台からは、白煙を上げる4号機建屋と大量の汚染水が流れ出た太平洋が見えた。そして、展望 台で広げた白旗に赤いスプレーで日の丸を描き、それを放射能マークへと改変。月面やエベレストなどの「到達困難」な場所での慣例に倣い、その旗を掲げた。タイトルは、「まさに、いま」という意味の「リアルタイム」、映画「モダン・タイムス」よろしく「リアルな時代」、そして「ニューヨーク・タイムズ」などのメディアをもじり、警戒区域内での報道が皆無だった当時の状況に対して、「現実の報道」という三つの意味を併せ持たせた。
「without SAY GOODBYE」
福島第一原子力発電所の原子炉建屋に近接する、打ち捨てられた状態にあった畑に設置した、防護服とガスマスク姿の案山子。避難した住民と原発作業員へのオマージュとして制作して撮影、葬式用の額に額装した。
「Never Give Up」
東日本大震災後、広島の被爆者団体代表である坪井直氏から送られたファクスを、福島で被災した額縁を使って額装した作品。この言葉は、講演など折に触れて50年 以上使ってきた、彼の座右の銘である。壊滅と放射能を乗り越えてきた広島で被爆 者として生き、自らの死後になるかもしれない「核廃絶」という人類的命題を訴え、そして自らの病魔と闘い続けてきた坪井氏によるこの言葉は、21世紀の日本にとって重い意味を持つ。
「日本犬」
東北地方太平洋沖地震で倒壊した家の庭の前で、首輪をした犬が喉を鳴らしていた。数秒見つめ合う。犬はこちらを気にしながら家のほうへと歩き出す。が、すぐに立ち止まって、またこちらを振り返る。目が合うと再び家へと歩き出す。ついていくと、2階の布団の上に足を怪我した別の犬がいた。器が落ちていて、そこで餌 を与えられた形跡がある。水とシーチキンを入れると、犬は足を引きずりながら 寄ってくる。やはりおなかが減っていたのか、あっという間に食べ終えて、また足 を引きながら元の布団に戻っていった。
「Level 7 feat.『明日の神話』」
渋谷駅にある岡本太郎の壁画《明日の神話》右下にある隙間に、福島第一原子力発電所の事故を描いた絵をゲリラ設置したプロジェクト。原子炉建屋からドクロ型の黒い煙が上がる様子を壁画と同じタッチで紙に描き、それを塩ビ板に貼ったものを、壁画の連続した一部として自然に見えるように設置した。通行人が撮影した画像がネット上で拡散され、匿名の行為として議論を巻き起こした。《明日の神話》 は、日本の被曝のクロニクルだ。広島・長崎の原爆、第五福竜丸の水爆......、そして2011年、現実によってこのクロニクルは更新された。Chim↑Pomによって《明日 の神話》の余白に追加された福島第一原発の爆発の絵は、岡本太郎の「描かれなかった」絵であるとともに、ヒロシマ以降を生きた全日本人の現実である。
「気合い100連発」
2011年5月、東日本大震災の被災地である福島県相馬市で知り合った若者たちと、 100連発の気合いを入れた様子を収めた映像作品。家を流され、大事な人を失った彼らは、放射能の恐怖のなか、壊滅した街で約2カ月間を過ごしていた。相馬市は福島第一原子力発電所が近いことも影響し、報道が集中した被災地と違って外からのボランティア不足が続いていた地域。被災者でありながらも自ら救援活動や復興作業にずっと携わってきた彼らによるリアルな叫びは、すべてアドリブ、一発撮りで収録された。
「被曝花ハーモニー」
福島第一原子力発電所から30キロの警戒区域で採取した植物で制作した生け花。 フラワーアーティスト、柿崎順一とのコラボレーション。植物は動物と違って逃げられない。植物は放射能に苦しむのだろうか。花の何かが変わったとして、その美しさも変わるのだろうか。危険区域にも関わらず、いまも草花や木は相変わらず生 い茂っている。むしろ立ち入り禁止区域の花たちは、今後さらに「狂い咲く」かもしれない。生け花の「切られても生きる」力強い姿には、自ら蒔いた問題に右往左 往する人間への「癒し」だけではない、むしろ自らの「運命を全うする」ような美しさがあるのではないか。 生け花の起源は「献花」にあると言われている。僕たちはこれをすべての逆境で生きる生命に献じたいと思った。
「Red Card」
2011年10月から約2カ月間、水野は福島第一原子力発電所の収束作業に従事した。 世界一禍々しいところのように思え、不安もあったが、これまで経験した肉体労働 の仕事と同じで、現場は整理されていた。撮影のタイミングを計りながら日々の仕 事をこなし、ある日の休憩時間にカメラを持って撮影スポットへ向かった。 大爆発した3号機を目の前にして、名もなき作業員たちの強さや誇りを感じながら、セルフタイマーをセットした。